History
養鰻発祥の地、浜名湖。
日本のうなぎ養殖は、ここ浜名湖から広がりました。125年以上にわたって受け継がれてきた、伝統と挑戦の物語。私たちは、その歴史の続きを書いています。
すべては、
一人の「ひらめき」から始まった。
いまや全国に知られる浜名湖うなぎ。その始まりは、明治時代のある日、東海道線の車窓から浜名湖を眺めた一人の実業家の直感でした。海と川が出会う汽水湖、温暖な気候、豊かな水——。この土地が持つ恵みが、日本のうなぎ養殖の歴史を動かしていきます。
Why Hamanako
なぜ、浜名湖だったのか
うなぎ養殖の適地として、浜名湖には4つの恵みがありました。
一年を通して温暖な気候
遠州灘に面する浜名湖周辺は、冬でも比較的暖かい地域です。水温が下がりにくく、うなぎがのびのびと育てる環境でした。
ミネラル豊富な地下水
湖の周りには質のよい地下水が湧き、湖へと流れ込んでいます。この豊かな水が、うなぎを健やかに育てました。
天然うなぎの生息地
もともとうなぎの赤ちゃんが集まる豊かな場所でした。餌になる小魚も多く、育てるために必要な環境がそろっていました。
東京と大阪の、ちょうど中間
日本の二大都市のまんなかに位置し、池をつくる広い土地もある浜名湖。販売の面でも、うなぎ養殖にうってつけの場所でした。
百年を、超えて。
受け継ぐ、誇り。
Since 1900
先人たちが積み上げてきた浜名湖うなぎの伝統を、私たちは次の世代へとつなぎます。
The Pioneers
伝統をつくった、二人の先駆者
1853 – 1920
服部倉治郎
浜名湖うなぎ養殖の祖です。1900年、舞阪に約8ヘクタールの養殖池をつくりました。「クロコ」と呼ばれる15cmほどの稚魚を捕まえ、餌付けで育てるという当時としては画期的な方法で、日本初の本格的なうなぎ養殖を成功させました。後に浜名湖養魚漁業協同組合の礎を築いた人物です。
Showa Era
村松啓次郎
浜松出身のうなぎ養殖の研究家です。試行錯誤を重ねた末、より小さな「シラスウナギ(約5cm)」から育てる方法を確立し、浜名湖の生産量を大きく伸ばしました。当組合初代組合長として、浜名湖養鰻を前進させた立役者です。
East meets West
関東と関西が、出会う街。
浜松・浜名湖は、日本の東西文化が交わる地です。うなぎの調理法も、関東焼き(背から開いて一度蒸し、ふっくら焼く)と、関西焼き(腹から開いて蒸さずに直火で香ばしく焼く)の両方がひとつの街に混在しています。
東と西、両方のうなぎ文化が根づいている——。それも、この土地ならではの豊かさです。
To All Japan
浜名湖から、全国へ。
浜名湖での成功をきっかけに、うなぎ養殖に挑む人が全国各地に広がりました。ここで磨かれた技術は、やがて鹿児島・宮崎などの産地へと受け継がれていきます。
日本のうなぎ養殖の原点として——。浜名湖は「養鰻発祥の地」として、いまもその誇りを受け継いでいます。
Timeline
浜名湖うなぎの歩み
日本のうなぎ養殖、はじまる
実業家・服部倉治郎が、東京・深川に養殖池をつくり、日本で初めてうなぎの養殖に挑みました。
浜名湖との出会い
調査の旅の途中、東海道線の車窓から浜名湖を眺めた倉治郎は、「ここはうなぎ養殖に向いているのではないか」とひらめいたと伝えられています。
浜名湖に養殖池を創設
舞阪周辺に約8ヘクタールの養殖池をつくりました。「クロコ」と呼ばれる稚魚を餌付けで育て、浜名湖うなぎ養殖の歴史が幕を開けました。
全国一の産地、そして全国へ
豊かな自然を背景に、浜名湖は全国有数のうなぎ産地へと成長しました。生産量日本一を誇り、ここで培われた養鰻の技術は鹿児島・宮崎など全国各地へと広がっていきました。
シラスから育てる手法を確立
浜松の養鰻研究家・村松啓次郎が、より小さなシラスウナギ(約5cm)から育てる方法を確立しました。これにより生産量が大きく増えました。
産地消滅の危機、そして挑戦
後継者不足などにより、うなぎを育てる生産者は約27軒にまで減りました。「産地を絶やしてはいけない」という思いから新ブランド「でしこ」が誕生し、Makuakeうなぎ部門で日本一(1,533万円)、2025年度グッドデザイン賞を受賞しました。
次の100年へ ―「浜プラン」
社屋・加工場の建て替えに合わせた「浜プラン」を組合全体で進めています。うなぎを軸にした観光スポットをつくり、地域に新しいにぎわいを生み出していきます。
伝統は、いまも。
この地で、続く。
Tradition Lives On
先人から受け継いだ「うなぎを育てる」営みを、私たちは次の100年へとつないでいきます。